沈黙
著 遠藤周作
1966年
もちろん、映画を見て。
一時期、単行本を持っていたか家にあった記憶があるけど、読んだことがなかったのは、重たくて辛そうなイメージだったから。
そしてやっぱり、間違っていなかった!
英語で読んだんですが、これは主人公がポルトガル人司祭なわけだし、全然違和感はない。
むしろ、日本のこの時代の様子を傍から見るという意味で言葉というカタチから入れる。
まずは、映画の筋書きの忠実さにびっくり。ただ映画ではどうしても表現しにくい主人公の複雑な心境や微妙な心の動きは、小説のほうが丁寧に書かれている。
ただ、エンディングは…。
原作は映画のようではないはず、と思っていたのでスッキリ。
遠藤周作自身のキリスト教徒であり日本人であるという(著者本人曰く)矛盾が、この作品の土台ですが、
日本の歴史の中の暗い部分をくり抜いて曝け出し、宗教とは、社会とは、信念とは、個人の命とは、という普遍的な問題をぶつけてくる強いメッセージを持った小説。
信念を貫き死を選ぶことは正しいのか、自分の命を惜しむことは間違っているのか弱いのか。
では他人の死の上に申し訳なさそうに正座をして信念(宗教)を貫くのは正義なのか、諦めてもうこれ以上一人でも犠牲を出さないように心を無にして生きるのは悪なのか。
守られた社会でしか生きてこなかった若造が大人の事情を知り成長する、という部分も重要な部分。
勇敢な気持ちで期待していた肉体的苦痛を一度も与えられなかったという虚しさ、自分を常にキリストと比較している自惚れた傲慢さ、そして弱い者を軽蔑し、神の沈黙を疑う神父、という危うい側面はハリウッド映画としてはスッキリ来ない。
映画上ではここが賛否両論の原因なのでは。
でも小説ではその微妙な心境の変化も逃さずに書かれているので腑に落ちる。
踏絵という、効率的なシステムの凄さに驚きですが、それでもキリスト教の神を信じ死を選ぶ日本人が実は歪んだキリスト教を崇拝しているという矛盾。
じゃあ何のために彼らは死ぬのか。
すべてを腐らせる沼である日本の中で、真のキリスト教徒として生きるにはキリスト教徒であることすべてを否定しないいけないという「悟り」の域に達する主人公。
考えれば考えるほど、次へ次へと物語のベールは脱がされ、この小説の素晴らしさが見えてくる。
映画がもし、素晴らしい映画だとして後世に残ることになるとしたら、讃えられるべき要素は映画製作者ではなく原作者だと思う。
それだけ力強い小説であり、キリスト教の根本である絶対的な存在、絶対的な正義を地の奥から揺さぶるような恐ろしい物語でもある。